こんにちは!リンコ(@manabunoda)です!
昨年より、同僚の医師と一緒に「患者中心の医療の方法」という書籍の輪読会を月1回行っております。(羊土社のホームページで一部公開されており読むことができます。)
「日本語訳での序」より
本書で述べられている「患者中心の医療の方法」は,過去50年にわたり,医療者が患者のためにケアの質を向上させることの助けになってきました.この方法は,公平性と思いやりの道徳的基盤の上に構築されました.生物医学のみに焦点を当てた方法から,患者がもつ問題の社会,感情,発達,そして家族の側面についての焦点も加えた方法へ-そのような新しい方法でケアを行いたいと考える臨床家によって,そのような臨床家のために,この方法は考案されました.医療者と患者が出会う時 ,医学の世界と患者の世界が重なります.この医療の方法は,これら2つの世界の間のギャップを埋めるために「共通の理解基盤を見出す」と呼ばれる案内を提供します.重要なことは,「患者中心の医療の方法」が患者と医療者の間にある,継続的かつ徐々に深まる人間関係を前提としていることです.
「患者中心」という用語は,しばしば明確な定義なしに使用されますが,本書では明確に定義されています.本書を読むことにより,一連の研究エビデンスによって支持され,そして医学教育で教え学ぶことが成功している「患者中心の医療の方法」について理解を深めることができるでしょう.
「患者中心の医療の方法」を使用することを支持する一連の科学的エビデンスについては,強調する価値があります.日本を含む世界で行われた研究が,患者が患者中心のアプローチを望み,それを期待していることを示しています.また,患者中心の医療の方法は,患者の健康とアウトカムを改善するのに効果的であることが示されています.そして重要なこととして,患者中心のケアは保健医療の費用を抑制する効果をもたらします.
『Patient‒Centered Medicine : Transforming the Clinical Method』の第3版にあたる本書の翻訳は,「患者中心の医療の方法」の概念と実践に没頭してきた葛西龍樹 博士と日本プライマリ・ケア連合学会の若手メンバーの献身的な仕事に委ねられました.そして彼らはそれを成し遂げました.1992年,葛西博士は,カナダのBritish Columbia大学での家庭医療専門研修中に,選択研修としてWestern大学を訪れ,Ian McWhinneyや筆者らと学びました.それが私たちの長い友情の始まりであり,その後も日本とカナダの間で多くの訪問を両方向で重ね,多くの実りある議論を生み出しました.これからも,その成果は私たちみんなへ栄養を与え続けることでしょう.
一緒に輪読会をしている医師たちは家庭医療医であり、これまでにこの分野を十分に勉強してきておりますが、私は初心者ですのでついていくのに必死です。いつも教えてもらいながら進めております。海外の書籍を翻訳しているため日本語としてはややこしい部分もあり、また抽象的な表現も多く、こうったのは私は得意でないので、なかなかに苦戦しております。
1か月に1章ずつ読み進めており、全19章なので1年半かかる計算ですね。月ごとにファシリテーター役を決めて進行しており、今回の第9章「学習者中心の教育」が私の担当でした。
せっかくですので、今回の勉強会のまとめと考えたことなどを簡単に書いていきたいと思います。
前々回(第3章)、前回(第6章)のまとめはこちらから↓
それでは始めます!
この「患者中心の医療の方法」の書籍は、8章より「第3部 患者中心の医療の方法の学習と指導」へ突入しました。9章について書いていく前に、8章「医師になること:医学教育の人間的経験」の振り返りを少ししていきます。
8章の輪読会をしての感想は、医学教育と薬学教育ではその量と質が大きく異なるように感じたということです。
医師は医学生の後、国家試験に合格しても研修医という段階があります。薬剤師にはそれがありません。それが教育の違いにつながっている気がします。医師の教育はかなり手厚いなと。
医師になるために必要な能力①疾患を取り扱うための医学的知識と技術的能力を身につける②専門職に「なる」③癒すことを学ぶ
ここが8章で特に考えさせらえた部分です。
もちろん薬剤師にとっても重要なことです。最低限のことを身につけ薬剤師になり、実務を経てさらに深めていくことになるでしょう。コミュニケーションに関する技術は薬剤師教育でも不足していると感じていますが、重要な分野です。
早ければ早いほどいいとは思いますが、難しい学生もいるかと思います。「薬剤師」への志が高いほど早い段階で身につくのかなとも感じますが、実務を経験してからそれがさらに深まっていくことになるとは思うので無理しなくてもいいでしょう。どのような経験をいつの段階でするのかにも関係すると感じますし、メンターや目標とすべき人との出会いも大きいように思います。
さて、ここから9章について書いていきます。
もうだいぶお腹いっぱいですが、もうしばしお付き合いください。
この概念はあまり意識したことがなかったのですが、重要な概念のようで9章で何度か登場していました。こうやって書かれると、確かにその関係性は似ているのかもしれませんし、教育者側は意識しておく必要があるでしょう。
これが9章の内容になります。
ニーズ評価はすごく大切ですけど、バランスが難しいですね。学習者に任せすぎても教師が決めすぎてもダメですし。私はどちらかというと学習者に決めさせる傾向があります。自分色に染めるのがあまり好きじゃないんですよね。例えば専門職がたくさんいて、ローテーションをする場合は、教育者が道筋を示して特化した教育をすることも必要なのかもしれません。
ただやはり学習者側がゴールを自分で決めるのは難しいので、できるだけ魅力的なゴールの形をいくつか提示してあげることも必要かと思います。私のメインとしているプライマリケアという領域は、ゴールの設定が難しくあまり語ることをしてこなかったのですが、語れるようにならないといけないと指摘されました。
この2枚のスライドは教育者側が十分に理解しないといけない部分だと思います。分かってはいるけどなかなか難しい…
もちろん学習者のことを十分に理解して、個別に教育する必要はあると思いますが、どこまでしてあげればいいかというのは悩ましいですね。薬学生/薬剤師教育に関しては、ここまで環境が整っていないことも多いのではないかと感じています。
また、全人的に理解するためにはプライベートなことも把握していないといけません。時代的に聴取が厳しくなっているのと、コロナ禍で飲み会ができなくなっているので、把握するのが難しいというのが正直なところです。
実際に医療現場へ行くと様々なストレスがあると思います。一つは学習のタイミングが重要になってきます。医療職にとって経験は最大の武器になると思いますので、早いうちに経験をしておけば将来的に役立つことも多いです。ただし、特に生死に関するような経験であれば、心の準備ができていない場合に大きなストレスがかかることもあるようです。そのタイミングを間違えてはいけないと思いましたし、十分なフォローも必要だと感じました。
教育にとって環境の因子は非常に大きいと思います。ここまで充実できるといいですが、実際は難しいですね。。。
学生時代に多くの時間を費やした分野が重要な分野だと感じてしまいがちですが、他にも大事な分野はたくさんありますね。現場に出た時に気づいて学ぶことができればいいですが、気づかなかったら致命的になりかねません。これは教育者がしっかり誘導していく必要があると感じています。特に患者コミュニケーションに関してはあまり学習はしませんが非常に重要な分野かと思います。
ついおろそかにしてしまいがちですが、重要なことですね。教育者側にとっては難しい部分もありますが、学習者側からするとあらかじめ提示されておいた方が間違いなくいいですからね。教育者側の姿勢を示す機会にもなるんだと思います。
教育者は様々な役割が求められますが、中には困難なこともあるかと思います。すべてを完璧にしなくてもいいとは思いますし、教育者側も完璧を求めすぎてストレスにならないようにしないといけませんね。
最後のスライドになります。
Alonsoの言葉はどう感じられますかね。一緒に輪読会をしている2人の医師は激しくうなづいておりました。私は逆にそのような欲求が全くないんですよね。良くも悪くも肩入れしすぎないようにしていますので、学習者からしたら冷たくみられることもあるかもしれません。一つの仕事として淡々とこなしている感じなのかもしれません。教育はすごく好きなんですけどね。
基本的には「医師の教育」を扱っていますので、違和感を感じながらも共通のことも多く、充実したディスカッションも経て、多くのことが学べました。医師の教育は進んでいるし充実しているなという印象です。ここまで深く教育のことを学んだことはなかったのでいい機会になりました。
今回は以上になります!
参考になれば嬉しいです!