リンコ's diary

田舎の地域医療を志す薬剤師

月刊ブログ 田舎の地域医療を志す薬剤師(2021.10)(「患者中心の医療の方法」の輪読会始めました)

こんにちは!リンコ(@manabunoda)です!

 

今年になって同僚の医師と一緒に「患者中心の医療の方法」という書籍の輪読会を月1回行っております。(羊土社のホームページで一部公開されており読むことができます。)

「日本語訳での序」より

本書で述べられている「患者中心の医療の方法」は,過去50年にわたり,医療者が患者のためにケアの質を向上させることの助けになってきました.この方法は,公平性と思いやりの道徳的基盤の上に構築されました.生物医学のみに焦点を当てた方法から,患者がもつ問題の社会,感情,発達,そして家族の側面についての焦点も加えた方法へ-そのような新しい方法でケアを行いたいと考える臨床家によって,そのような臨床家のために,この方法は考案されました.医療者と患者が出会う時 ,医学の世界と患者の世界が重なります.この医療の方法は,これら2つの世界の間のギャップを埋めるために「共通の理解基盤を見出す」と呼ばれる案内を提供します.重要なことは,「患者中心の医療の方法」が患者と医療者の間にある,継続的かつ徐々に深まる人間関係を前提としていることです.

「患者中心」という用語は,しばしば明確な定義なしに使用されますが,本書では明確に定義されています.本書を読むことにより,一連の研究エビデンスによって支持され,そして医学教育で教え学ぶことが成功している「患者中心の医療の方法」について理解を深めることができるでしょう.

「患者中心の医療の方法」を使用することを支持する一連の科学的エビデンスについては,強調する価値があります.日本を含む世界で行われた研究が,患者が患者中心のアプローチを望み,それを期待していることを示しています.また,患者中心の医療の方法は,患者の健康とアウトカムを改善するのに効果的であることが示されています.そして重要なこととして,患者中心のケアは保健医療の費用を抑制する効果をもたらします.

『Patient‒Centered Medicine : Transforming the Clinical Method』の第3版にあたる本書の翻訳は,「患者中心の医療の方法」の概念と実践に没頭してきた葛西龍樹 博士と日本プライマリ・ケア連合学会の若手メンバーの献身的な仕事に委ねられました.そして彼らはそれを成し遂げました.1992年,葛西博士は,カナダのBritish Columbia大学での家庭医療専門研修中に,選択研修としてWestern大学を訪れ,Ian McWhinneyや筆者らと学びました.それが私たちの長い友情の始まりであり,その後も日本とカナダの間で多くの訪問を両方向で重ね,多くの実りある議論を生み出しました.これからも,その成果は私たちみんなへ栄養を与え続けることでしょう.

 

一緒に輪読会をしている医師たちは家庭医療医であり、これまでにこの分野を十分に勉強してきておりますが、私は初心者ですのでついていくのに必死です。いつも教えてもらいながら進めております。海外の書籍を翻訳しているため日本語としてはややこしい部分もあり、また抽象的な表現も多く、こうったのは私は得意でないので、なかなかに苦戦しております。

 

1か月に1章ずつ読み進めており、全19章なので1年半かかる計算ですね。月ごとにファシリテーター役を決めて進行しており、今回の第3章が私の担当でした。

せっかくですので、今回の勉強会のまとめと考えたことなどを簡単にまとめていきたいと思います。

 

これまでの1章、2章は「患者中心の医療」の総論でしたが、今回の3章からは「患者中心の医療」の構成要素の解説となっております。

 

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患者中心の医療の構成要素は、「① 健康、疾患、病気の経験を探る」「② 全人的に理解する」「③ 共通の理解基盤を見出す」「④ 患者-臨床家関係を強化する」の4つからなります。

3章はこのうち「① 健康、疾患、病気の経験を探る」の解説となっています。

患者は、「健康(な状態であるかどうか)」「疾患(の有無)」「病気(の経験)」から自分の状態を解釈するわけですが、それは人によって捉え方が様々です。それをいかに医療者側が聞き出し、把握できるかというのが重要であり、それが患者アウトカムや患者の満足度に関連するといわれています。

 

「疾患」についてはその疾患の有無が問題であり、それ以上でもそれ以下でもありません。「一つのカテゴリーであり、機械としての身体、あるいはコンピューターとしての心の調子が悪くなった『物』」と表現されていました。

 

「病気(の経験)」については、解釈モデルとして「FIFE(通称:かきかえ)」がよく知られていますね。これが患者の医療の方針の考え方に重要な役割を果たしています。

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「病気」については他にもいくつかモデルが紹介されていました。

☆「気づき、無秩序、再構成の3段階での病気モデル(ReiserとSchroder)」

 気づき(真実を知って病気を理解したいと望みながら、何かが具合悪くなっている可能性を認めたくない)

無秩序(恐怖と抑うつの時期)→

再構成(患者は病気に直面して新しい意味を見出すために、そして可能であれば彼らの苦境を乗り越えるために、彼らの内的な強さの全てを行使する)

という流れで病気と向き合い方が変わっていくようです。

☆「深刻な病気に伴う4つの共通の感情ー恐れ、喪失、孤独、裏切り(Stein)」

 これに関しては「裏切り」があまり理解できませんでした。個人的に体に裏切られた、失望させられたという経験がないからなのかもしれません。そこまで体を信頼していないというか、諦めているということもあるかもしれませんが。「動けよ、俺の足!なんで動かないんだ!」というように体が思うように動かず、悲観的になる状態なのかなと話をしていました。

 

最後は「健康」について。個人的には、各個人の医療に及ぼす影響は最も大きいように思いました。

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健康の概念は時代と主に変化してきています。昔は疾患の有無だけでしたが、もっと広く大きな概念になり、それゆえに個人差が大きくなっているのではないかと思います。

そのため受診の動機は人によって様々です。「病気」とも関係があるのかもしれませんが、「なぜ今受診したのか?」がこれらの解釈と大きく関係していると言えます。すなわち、「今日はどうして来られましたか?」という問いは非常に重要であり、医療者は「何がこの受診を引き起こしたのだろう?」と自問する必要があります。もちろん定期受診であればその解はシンプルなのかもしれません。体調が悪化しての受診や定期通院しているけど遅れての受診などはその理由を十分に考え、問う必要がありそうです。かならず「きっかけ」がありますからね。

ただこれに関しては、「患者はしばしば、その日医師のもとを訪れた理由について手がかりときっかけを医師に与える。これらは言語、あるいは非言語の信号かもしれない。(中略)30年にわたる研究で示されていることは、患者がする自分の病状説明を医師が早期に遮ってしまい、そのため、彼らの健康と病気の物語はしばしば話されずにいるということ。」と書かれています。医療者が話を遮ったり、話を聞かなかったりすることがあるという意味だと思います。限られた時間の中で把握するのはなかなか難しいことかもしれませんが、患者に話してもらうことは非常に重要なことかと思います。分かってるんですけどね…

また、「『健康』という言葉はあなたの人生でどんな意味がありますか?」と患者に問うことも重要なようです。これは患者の健康観を把握する質問であるとともに、患者に考えさせることで患者の成長にもつながる可能性のある質問とのことです。

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この賞の最後は「自己効力感」で締められていました。医療者は患者のアウトカム改善に向けて行動変容を促していく役割があります。この「自己効力感」を同定することが重要であり、同定できれば積極的に関わっていく必要があるそうです。

 

こんな感じの3章でした。

理解できたような、理解できなかったような。

予習して、実際に輪読会して、ブログ書いてようやく腑に落ち始めました。復習することは大切ですね。十分に理解するにはもう少し時間がかかりそうですが、めげずに続けていきたいと思います。

 

まだまだ3章ですが、少しずつ「患者中心の医療」が理解できてきました。「患者中心の医療」の中で薬剤師として、一医療者として何ができるのかじっくり考えていきたいと思います。

 

 

今回は以上になります!

参考になれば嬉しいです!

 

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